最近、徐々にメディアでも報道されることが多くなり、認知度が高まってきたLGBT。
LGBTとはレズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの略だけれど、
他にも種類があることはご存知でしょうか。
筆者はアメリカのオレゴン州という比較的、
人の個性・多様性に寛容な州に留学していたこともあり
多くの人が自分の個性にオープンで、友人の中にもこのLGBTに当てはまる人が多くいました。
日本ではまだまだ身近に当てはまる方がいる!という方は少ないかもしれませんが、
まずは少なくともこういう方がいるんだな…と知ることが大切だと思うので
自分のアメリカでの実体験を含めて、書いていこうと思います!
※今回は、Ryoさんのツイート↓
#秒で学べる英語
https://t.co/ZD8NPxEAAu— 🇺🇸Ryo’s English🇺🇸@英語&USA写真垢 (@CharaoEnglish) 2019年7月1日
🏳️🌈LGBTQIAPK+
Lesbian
Gay
Bisexual
Transgender
Queer
Intersexual
Asexual
Pansexual
Kink
+ Plus
同じ頭文字が複数の単語を表す物もあります。
#PrideMonth も終わりプロフも元に戻しますが、最後に上記の意味を全て英語で簡単に説明してみました。
からインスパイアされて書いた記事です。
こちらは英文記事ですが、
とても参考になりますし英語を勉強中の方にもピッタリですので、
彼の記事も是非読んでみてくださいね。
LGBTQIAPK+とは
L → Lesbian (レズビアン=女性同性愛者)
G → Gay(ゲイ =男性同性愛者)
B → Bisexual(バイセクシュアル =両性愛者)
T → Transgender(トランスジェンダー =性別越境者)
Q → Questioning (クエスチョニング =性自認や社会的な性、性的指向が確立できず、自問している人)
Q → Queer (クィア= LGBTやトランスジェンダーを包括する概念 )
I→ Intersex (インターセックス =医学領域では「性分化疾患」が現在のところ一般的)
A→ Asexual (アセクシュアル =無性愛者)
A→ Ally (アライ =LGBTなどに当てはまらない、いわゆるストレートだがLGBT等のコミュニティを支持している人)
P→ Pansexual (パンセクシュアル=全ての性愛者)
※バイセクシャルは女性か男性かに限られるのですが、パンセクシュアルはそれに限らないそうです。
K→Kink(キンク=ある特定の性的嗜好を持った人)
+→ 上記以外に当てはまらない性別・ジェンダーを持った人
以上、私が調べた情報ですが、
こういった性別・ジェンダーについては日々変化していっているものです。
私自身も理解を深めようとしているところなので、
もし違うよ!というところがあれば、是非教えてください。
海外で出会ったLGBTQIAPK+の人たち
冒頭でお話した通り、私は高校留学をアメリカ オレゴン州で過ごしていて
その中でLGBTQIAPK+(以下長いのでLGBTと略します)の人に出会いました。
高校留学時代はホームステイをしていて、ホストシスターは私と同学年・同じ現地校に通うことになっていたので
彼女を通して学校が始まる前からたくさんの友達を紹介してくれたのですが、
その中で初めてLGBTだ!と自ら公言している人に出会ったのでした。
彼はオシャレで小柄な男の子で、魅力あふれる子でした。
当時は彼女がいましたが、彼は出会った初期の時点で自分はバイセクシャルだと公言していて、
周りの友人も、そして彼と付き合っている彼女でさえもそれを気にとめていないようでした。
わたしも初めて出会った当事者だったので多少驚いたものの、
「へ~そうなんだ~」
といった感じで受け入れていました。
しかし、
留学していた高校が芸術系・ヘルスケア系の専攻からなる学校だったからか
オレゴン州という多様性を受け入れる州の特質なのか、
アメリカでの滞在期間が長くなり、
色んな人と知り合っていく中で
「あれ?このひともゲイ?この人はレズビアン?この人はバイセクシャル?????なんかすごく多くない!?」
ということに衝撃を受けました笑
日本で暮らしていると、カミングアウトする人も少なく、そういった人が少ないように思われがちですが
LGBTに当てはまる人の割合は
11人にひとりいると言われていて(諸説あり)、
意外と多いものなのですよね。
ただ、こうやって色んな個性を持った人たちに囲まれて過ごして思ったのは、
彼らがなんであれ、
誰を好きだったとしても、
大切な友人のひとりであることに変わりはない
ということでした。
LGBTの方が身のまわりにいる私が思ったこと
LGBTに限らず、マイノリティの立場に立っている方を見ると思うのは、
たまたま自分は当事者ではない立場にいるけれど
自分も含め、誰しもがもしかしたら当事者になり得たかもしれない。
もしくは、今後なり得るかもしれないということ。
障がい・病気・人種・貧困。
色んな場面で差別を受ける立場に立たされる人がいる。
でもそれって「たまたま」その人達が大多数とは違っただけなのだと個人的には思います。
自分の意識的な選択ではなく「たまたま」自分がそうだった、
本当は大多数側にいきたいけれどそうではなかった。
という人もいるはずです。
差別的発言は必ずしも故意的にされるものではないけれど、
自分が当事者側だったら本当にその発言をするのか?
考える必要があると感じました。
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